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大阪高等裁判所 昭和59年(ネ)2027号 判決

控訴人

中谷伸行

被控訴人

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

細井淳久

右同

川口秀憲

右同

西脇博

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、控訴人の当審における追加請求をいずれも棄却する。

三、当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、控訴人

「一、原判決を取消す。二、被控訴人は控訴人に対し、金五、九一四万五、六九四円及びこれに対する昭和五六年七月一六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。三、訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び第二項につき仮執行宣言。

二、被控訴人

主文同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、原判決の引用

当事者の主張は、以下のとおり訂正、附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

原判決三枚目表九行目の「唯一」を「ただ一人」と訂正し、同裏一〇行目冒頭に「呉教育隊に入隊間もない」を加入し、同四枚目裏九行目の「管理に」を「管理を」と、同五枚目表一二行目の「育成する、ことにある」を「育成することにある」と、同裏七、一〇行目の「行う」を「行なう」と、同六枚目裏三行目の「昭和五七年」を「昭和三七年」と、同七枚目裏四行目の「倍化」を「倍加」と、同裏九行目の「無しに」を「なしに」と、同八枚目表末行目の「腰痛などである」を「腰痛に罹患したことなどがある」と、同九枚目表二行目の「構じ」を「講じ」と、同四、五行目の「喫食」を「飲食」と、同一〇枚目裏三行目の「行う」を「行なう」と、同一一枚目表一行目の「現在」を「現在分一、八九八万七、六四七円」と、「将来分」を「将来分四、○○○万円」と、同五行目の「五九一四万五六九五」を「五、九一四万五、六九四」と、同一四枚目表三行目の「行われ」を「行なわれ」と各訂正する。

二、控訴人の当審附加主張

(一)控訴人の胃腸障害等の内臓疾患の発生、増悪は、原判決説示のように控訴人の過度の飲水等の行為が本人の単なる不摂生により生じたものではなく、被控訴人が自衛隊の隊員の健康状態を無視した過酷な教育訓練(課外のラグビー練習などの特別訓練を含む)を行なったため控訴人は脱水状態を来たし、そのような過度の飲水行為をせざるを得なかったものであり、控訴人のストレス蓄積は学生長としての職務が強く影響したものである。

そして、この訓練内容の過酷さは文集「かばち」(甲第五ないし第七、第一五号証)などにより明らかであり、また、控訴人隊が命じた九期航空学生のただ一人の学生長であって、学生長が他の航空学生に比し、いかに精神的肉体的に疲労度が高いかは原審、当審における控訴人本人尋問の結果や同期学生の手紙(乙第一号証)、学生服務心得(乙第四号証)などに照らし明らかである。

(二)控訴人の現在にいたる胃腸疾患が前示(一)の過酷な教育訓練、学生長としての心労に基因するものであることは医師水野洋作成の医師意見書(甲第三七、第四七、第六三、第六四、第九〇号証)などに照らし明らかであり、これに反し、右の因果関係を否定する被控訴人提出の鑑定人坂本弘作成の鑑定意見書はいたずらに被控訴人の主張に迎合したもので極めて不当である。

(三)よって、被控訴人自身またはその被用者で隊員に対する直接指導監督者として、公権力の行使にあたる自衛官(教官)である増崎達矢、早福良一らにおいて(同人ら各自、ないし共同の行為によって)被控訴人のなすべき訓練隊員(学生)に対する安全配慮義務を怠った過失により、控訴人の能力体力をはるかに越える過酷な訓練を強要し、過度の疲労蓄積、極度の体力低下をさせ、かつ多量の水分を摂取せざるを得ない状況に追い込み、その結果、控訴人に胃腸障害を発症、増悪させ、控訴人ら訓練隊員の健康管理につき適切な健康診断、治療指示を怠り右症状を増悪させたものである。

(四)したがって、被控訴人は控訴人に対し、原審主張の安全配慮義務違反による債務不履行責任、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任のほか、民法七〇九条、七一五条に基づく損害賠償責任、及び憲法二五条一項に基づく補償責任により、請求の趣旨記載の金員の支払義務がある。

(五)被控訴人の後示当審附加主張三(二)、(三)を争う。

控訴人の本件胃潰瘍等の症状の成因が専ら控訴人の体質的な素因ないし性格的傾向によるものであるとの主張は時機に後れた攻撃防禦方法であるから却下されるべきである。

三、被控訴人の当審附加主張

(一)控訴人の前示当審附加主張二、(一)、(二)を否認し、同(三)のうち、増崎達矢が館山の部隊の学生隊長(三等海佐)で学生隊の指導官を指揮して航空学生を指導監督する任務についていたこと、早福良一が、同部隊の体育教官で、学生隊の指導官を兼ね、学生隊長の命を受けて控訴人ら九期生を直接に指導監督することをも任務としていたことを認め、その余を否認する。同(四)の主張を争う。

(二)控訴人主張の第二二一教育航空隊における訓練及び学生長としての心労と控訴人の胃腸障害との間に何らかの関連があるとしても、それは控訴人の特異な体質に基づくものであって、相当因果関係はない。即ち、控訴人は昭和五七年九月二四日香川放射線科において自律神経失調症の診断を受け(乙第一二号証)、また、同年一〇月五日大阪大学医学部附属病院神経科において神経症の診断を受けている(乙第一三号証)。したがって、控訴人は、同人の周囲の事情に敏感で、それを精神的ストレスとして感受し、体内の調節機構の乱れを誘発しやすい性格傾向にあり、控訴人の主張する十二指腸周囲炎、十二指腸潰瘍、慢性胃炎及び胃潰瘍があったとしても、同人の右の体質的な素因、性格傾向によるものであるし、その後における慢性的な諸症状もこれと同種の原因によるものとみることができる。

そして、このような控訴人の内的状況については、被控訴人において予見することは不可能であった。したがって、被控訴人には帰責事由がない。

(三)憲法二五条は、生存権の内容として個々の国民の直接国に対する実体法上の請求権を何ら認めたものではなく、福祉国家の理念に基づき社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであるに過ぎず、いわゆる自由権的効果を有するにとどまるから、本件について、控訴人に同条の規定に基づき、何らかの実体法上の請求権が発生する余地はない。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、当裁判所も原判決と同様、控訴人の本訴請求をいずれも棄却すべきものと判断する。

その理由は以下のとおり訂正、附加するほか、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

原判決一九枚目表三行目の「証言」を「証言、前示当事者間に争いのない事実、」と、同四行目の「被告本人尋問の結果」を「原告本人尋問の結果の一部」と、同一〇、一二〜一三行目の「行う」を「行なう」と、同裏八行目の「行われた」を「行なわれた」と、同二〇枚目裏一、四行目の「行われ」を「行なわれ」と、同三行目の「一杯使われ」を「一杯が使われ」と、同二一枚目裏末行目の「定律している」を「定律となっている」と、同二二枚目表七、九行目の「行わ」を「行なわ」と各訂正し、同裏二行目の「場合には、」の次に「その都度」を加え、同一〇行目の「喫食」を「飲食」と、同二三枚目表三行目の「行い」を「行ない」と、同八行目の「別課訓練を」を「別課訓練が」と、同一一行目の「一杯使われ」を「一杯が使われ」と、同裏一二行目の「真に」を「必要かつ」と、同二四枚目表八行目の「認めるにたる」を「認めるに足る」と同裏六行目、同二五枚目裏二行目の「喫食状況」を「飲食状況」と、同二五枚目末行目の「から生じた」を「にもその一因がある」と各訂正する。

同二五枚目裏末行目の文頭から同二六枚目表三行目文末までを全部削除する。

同二六枚目表五行目の「超ゆる苛酷なものでなかった」を「超える過酷なものとまではいえない」と、同裏一行目の「過ぎなく」を「過ぎず」と各訂正する。

同二六枚目裏八行目以下を全部削除する。

二、前示引用の原判決理由説示挙示の各証拠、弁論の全趣旨のより成立が認められる甲第四七、第五五、第六三号証(記載の一部)、甲第六五ないし第六七号証、第九〇号証(記載の一部)、乙第六号証の一ないし三、第九号証の二、三、第一六ないし第一九号証、第二四、第二五号証、第二七号証の一、二、第二八号証、成立に争いのない乙第一〇ないし第一三号証、第二〇ないし第二三号証、当審証人池田晋(一部)、同池田國臣の各証言、当審における控訴人本人尋問の結果の一部並びに弁論の全趣旨を総合すると、前示訂正、削除して引用した原判決の認定判断はこれを首肯、是認することができ、これに反する前示甲第五五、第九〇号証の各記載の一部、当審証人池田晋の証言、当審における控訴人本人尋問の結果の各一部は前掲各証拠、弁論の全趣旨に照らし、遽かに措信できず、原判決により措信しないとされた証拠のほか、他に右認定判断を動かすに足る証拠がない。

三、前掲各証拠、弁論の全趣旨に、右引用の原判決認定の事実、当事者間に争いのない事実を総合すると、(一)控訴人は、(1)昭和三三年四月一五日海上自衛隊にいわゆる「少年自衛隊員」として入隊し、舞鶴教育隊、江田島の第一術科学校で四年間の教育訓練を受けたが、その修了直前である昭和三七年三月二六日海上自衛隊航空学生試験に合格し、第九期航空学生五三名の一員として呉教育隊に入隊し、約三か月間の前期基礎課程を修了した。(2)同年七月四日、航空学生後期基礎課程履修のため千葉県館山市所在の第二二一教育航空隊に転属された。(3)昭和三八年一〇月五日右課程を修了した。

(二)控訴人は右館山の後期基礎課程の訓練期間中の昭和三八年三月二五日から同年五月一九日まで十二指腸周囲炎、同年七月一五日から同年九月二七日までの間、十二指腸潰瘍に罹患し入院治療を受けた。

(三)右館山の第二二一教育隊における教育訓練の目的は、海上自衛官として必要な知識及び技能の基礎的事項を修得させるとともに、徳操及び教養を高め、気力及び体力を練成し、将来、飛行職域の幹部自衛官となり得る素地を育成する、というものであり、そこで控訴人ら第九期航空学生に行なわれた訓練、とくに水泳訓練、別課「体育」であるラグビーの実施状況は前示引用の原判決認定のとおりであって、相当厳しく激しいもので主として午後三時以降とはいえ、ときに炎暑の下で行なわれることもあった。しかし、これは前示気力及び体力の練成等のため、とくに選抜されて入隊を許された気力及び体力の充実した頑健な航空自衛隊幹部を目指す航空学生で、すでに前期基礎課程を経た者に施されたものであり、この訓練期間中、胃腸疾患に罹患したものは控訴人のほか三名内外であって、そのうち一名は訓練の過労によると訴えているが、大半の者は健康で右の激しい訓練に耐え、無事右館山の第二二一教育航空隊の後期課程を修了している。

(四)控訴人は右第二二一教育隊第九期学生五三名中ただ一人の少年自衛隊員出身の学生として学生長の任命、指定を受け、指導官の指導の下に同期学生を統括していく責務を有していたことから、控訴人はその神経症的負因等により過剰適応反応を起こし過剰な役割認識の下に心理的ストレスを感じていた。

(五)胃潰瘍及び十二指腸潰瘍の発生原因としては、胃粘膜に対する防御因子と攻撃因子とに分け、これらの相互のバランスの乱れが潰瘍の発生につながるものと考えられている。これら潰瘍局所における主な因子は、第一には胃液分泌促進と抑制に関する分泌機構、第二は血液循環調節機能、第三に組織そのものの抵抗と再生機能であって、これらの生体調節機構が円滑に行なわれるかどうかが関係する。そして、前示攻撃因子の主たるものは胃から十二指腸へ流入する胃酸であって、夏期の厳しい水泳、ラグビー訓練は胃酸分泌をたかめて攻撃因子を強め、他方、食塩摂取の増大により防御因子を弱める作用がある。また、十二指腸潰瘍及び自律神経失調症については心身のストレスが関与するところがあるが、控訴人の受けたストレスは同人の学生長としての役割過剰認知など耐性の低い過剰適応反応者という本人の素因が占める比重が本件各疾病発症には大きい要因であった。(なお、控訴人は、控訴人の本件各疾病の成因が専ら控訴人の体質的な素因ないし性格的傾向によるものとする被控訴人の主張は時機に後れた主張であるというが、原審、当審における本件審理に徴し時機に後れたものとは認め難い。)

大要、以上の事実が認められる。

右認定に反する甲第四七、第五五、第六三、第九〇号証の各記載の一部、当審証人池田晋の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の各一部は前掲各証拠、弁論の全趣旨に照らし遽かに措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠がない。

四、右認定の各事実を併せ考えると、控訴人が右館山の第二二一教育隊の訓練中に発症した十二指腸周囲炎、十二指腸潰瘍、その後発症した自律神経失調症など控訴人主張の本件各疾病の原因が、多分に控訴人の心因的素因に基づくものであるとはいえ、なお、夏期暑熱時における水泳訓練ないしその後引続き行なわれた、主として午後四時以降の別課「体育」ラグビー訓練と控訴人の学生長としての前叙の心労などがなければ、右各疾病に控訴人が罹患しなかったであろうと推認される関係にあるものといえるのであって、一応水泳訓練ないし別課「体育」訓練等と前記各疾病との間には事実的因果関係を認めることができる。

しかしながら、前認定の右館山の第二二一教育隊が行なった水泳訓練ないし別課「体育」ラグビー訓練や、控訴人の学生長としての任務が、かなり厳しく激しいものであったといえても、これが控訴人のように前後四年間の基礎訓練を経た健康な青年男子で、とくに選抜された者に対する飛行職域の幹部自衛官となるための気力及び体力を練成することを目的とした後期基礎課程の訓練としては、なお、目的達成に必要かつやむをえない訓練であって、相当な程度内にあるものというべく、これが控訴人主張のように、航空学生に対しその体力の限界を超える極めて過酷な訓練であり、過度の疲労蓄積、極度の体力を低下させる性質のものとして、訓練施行者である被控訴人に対し損害賠償義務を課するに足る程度の違法性があるものとは認められず、前示措信しない証拠のほか、他に控訴人の右主張を認めるに足る的確な証拠がない。

したがって、前示のとおり館山の第二二一教育隊の水泳訓練、別課「体育」ラグビー訓練と控訴人の右教育隊の訓練期間に発症した十二指腸周囲炎、十二指腸潰瘍との間に事実的因果関係があるとしても、このような場合、なお被控訴人に対しその賠償責任ないし補償責任を帰せしめるための相当性を欠くもの(換言すれば、相当因果関係を欠き、保護範囲の外にあるもの)というべきである(なお、因果関係の相当性につき、最判昭和四五・七・一六民集二四巻七号一〇六一頁参照)。なお、控訴人は当審において被控訴人に対し憲法二五条一項に基づき補償責任を追及しているが、前認定の事実に照らし、本件において同条に基づき控訴人が被控訴人に対し直接その具体的な補償請求を求め得るものでないことは明らかであり、主張自体失当でもある。

五、以上のとおりであるから、その余の判断をするまでもなく、控訴人の本訴請求はいずれもこれを失当として棄却すべきものである。よって、これと同旨の原判決は結論において相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人の当審で追加した民法七〇九条、七一五条、及び憲法二五条一項に基づく請求をいずれも失当として棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官諸富吉嗣 裁判官梅津和宏 裁判官吉川義春は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官諸富吉嗣)

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